汗と涙が似ていることをきっと貴方は解るでしょう・・・
白馬岩岳から苗場へ、たったこれだけの事なのですが、タイムラグは大きな壁となって立ちはだかりました。参加選手が伸び悩みます。「八代さんは、人がやっていない新しい何かをしないとダメなんだよ。」、ある雑誌社の編集長がそう指摘してくれました。それはその通りで、日本のMTBレースは殆ど、すでに私のやりたいレースと同じでした。
苗場は苗場らしい何かが必要であり、場所を移しただけでは参加者に満足していただけませんでした。キンダーガーデン(子供の遊び場)を設置して、女性が走りやすいように、ファミリーで楽しめるように工夫をくり返しました。しかし、3年続けても確実な手ごたえを感じません。それどころか赤字は増すばかりでした。
一方、○本さんの紹介でフィールドは広がっていきます。滋賀県箱舘山スキー場、新潟県八海山スキー場にマウンテンバイクコースが常設として認められ、まだまだその常設化は広がりつつあります。
フランスとスペインの国境にまたがる小さな国が、アンドラ公国です。この場所がルーツのMTB競技があります。それが「AVALANCHE」(アバランチェ)です。雪崩を意味する言葉のごとく、参加者が一斉に複数のルートを選んでゴールを目指す競技です。正は「これだ」と考え、その詳細を調べて、日本風にアレンジし開催することを考えました。ともかく現地で見ることが大切で、そこに存在するムードとクオリティを体験しない限り日本開催は無理です。そしてオーガナイザーの中に入り込んで、運営やコンセプトを知り尽くさなくてはならないと考えました。その前に話を少し戻しましょう。
2003年からしばらく、冬になるとあるサイクルショップ・チェーンのアドバイザーとして仕事をしました。最初は大田区、2年目は池袋、そして3年目が府中市でした。そしてアバランチを開催しようというきっかけは池袋で生まれ、府中で育ちました。もし、東京で多くのお客さんやショップの店員の方と話しをしていなかったら、このアイディアは誕生していないと思います。それに、もう一つ大切な要因が加わって実現していきます。
「アンドラから、苗場大会のために来日予定だったミッシーが来れない。」とメーカーからの話しにびっくり仰天。「雑誌に載せているので、どうしても・・・」という理由で、アンドラに急遽飛びました。そのアンドラを調べていると、なんとAVALANCHEの大会が開催されているではないか...。正は早速、当時大田区勤務のタケゾーという選手を加えて、さっさとヨーロッパのAVALANCHEを思いっきり体験してしまいました。「どう、タケちゃんいいね。」「いいねー」そんなこんなで正は、次に会場探しとUCC(ヨーロッパの組織)と交渉を開始しました。当初は志賀高原の予定でしたが、野沢温泉村に変わりました。
何度か交渉をし1年後の冬、12月に野沢温泉村役場よりOKの内示をいただくと、ギャラクシーの○野君と一緒にすぐに野沢に飛んで行きました。吹雪の中、そしてコースの大まかな設定をしました。その夜は死んでしまうと思うほど酒を飲みました。そしてAVALANCHEジャパンの開催が具体的に進み出しました。また、サローネ・デル・モンテが「フランスへ行こうよ」の最初のきっかけがあったからこそ、アンドラ旅行が実現いたしました。要するに副産物だったのです、このAVALANCHEは・・・
2005年、野沢温泉村でアバランチェを開催しました。G.DH Marathonという名称が正式名称であり、「AVALANCHE」は呼び名ということです。全国各地から多数の参加者があり、地元の協力と日本屈しの温泉地ということで、大盛況の内に終わりました。そして2005ベスト・イベントとして評価していただきました。だから、しばらくはこのAVALANCHEをメインに活動することになりました。
2006年6月、S.DH Marathon 苗場プリンスを開催しました。コース前半は雪を残したヨーロッパ・スタイルです。8月にG.DH Marathon 野沢温泉村を開催、9月に日本初のアバランチェ・スタイルの100km XC Marathon 木島平を開催しました。2007年には志賀高原にてSNOW AVALANCHEを新たに追加し、年間三戦のアバランチェ・シリーズとなりました。
そしてインデペンデンス・ボードウォーク活動は、NPO法人 I.B.O. Japan を設立し、活動が活発化するようになりました。また2008年11月5日に株式会社アウトドアスポーツ846を設立させていただきました。どちらもかけがえのない私の人生です。


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