うまれてきたしるし(3)
正のヨーロッパ時代、フランシスコ・モゼールがアワーレコードで、世界をアッと言わせる新記録を樹立。その時誕生したのがディスクホイールとファニーバイク(牛の角の様なハンドルと前後車輪径の異なったスタイルのレーサー)。正は帰国後早速、集めたサンプルを分解し、国産のカーボンディスクホイールとファニーバイクを開発し、選手達がそれをテストしました。新素材を使った軽量化等、ともかく数々のコンペティションパーツを新しい視点で創造しました。だからレース会場では注目の的でした。「力だけでは勝てない、科学と数学をスポーツに役立てこそ、勝利する。」なーんてホザいていました。今でもあの時の技術が役に立っている、おかげで退職後しばらく日本のトップ企業の○○化学と顧問契約をし、カーボンやアラミド繊維、そして接着技術、構造力学などを研究し、これがアメリカに渡るきっかけとなったのです。
話を戻しましょう。188kmのファイナルエタップのスタートラインに並んだのは、70名を割っていました。どこからか選手が集まってきます。音楽隊が選手や観客の気持ちをあおる中、ジュリー(審判)の車がスタートすると、選手達はのんびりとスタートして行きます。体脂肪の少ない○浦の体重はそれでもスタートから6kgが減少し、血中酸素濃度は通常の70%以下。糖分を摂取すると心肺機能が低下し、心拍数はなかなか上がらないのはわかりますが、トレーナーは朝食に、彼にケーキを食べさしたのです。走ることよりも、生命維持に徹したのでしょう。
車の無線から色々な情報が入ってくる。集団がまた分割したなど・・・いよいよあと30km、レースは動き、そして○浦は後ろの集団に取り残された。しかしその10分後、また集団はひとつになった。ゴールがはるか遠くに見隠れした時、チェコチームが飛び出した。○浦はそれを予期していたように同時にスパート、それはあっと言う間の出来事だった。ゴールスプリントはたった8人。そして数秒後に大集団。後ろが追い付くのか、それとも8人がゴール勝負となるのか・・・
正にはゴールは見えませんでした。車でゴールラインを通過した時、チーム員が歓声を挙げていた。紙吹雪が飛び交う。まるで、辺りがスローモーションの様にざわめきの中の静寂に、私達はいるようだった。いつもの笑顔、しかし、体脂肪が無く、しわだらけの顔で○浦は言った、「ビールください」。一息つくと、「あした、ダイヤ買いに行きましょうね」。この言葉であの8人が逃げ切ったのは確かでした。そして彼のゴール順位など、もうでもいいと思った瞬間でした。私は今日でも、「○浦が日本最高のレーサーだ」と賞賛しています。そして尊敬しています。
翌年もこのレースに参加しました。そして彼等と合宿や試合や、かけがえのない楽しい時間を共有しました。今でも彼等に感謝しています。
バブルが崩壊すると自転車産業にも大きな打撃が走りました。トップメーカーが次々と淘汰されていきます。私が勤めていた会社も同様に...。そしてまずレーシングチームの解散となりました。彼等は別のチームに分かれて行きました。私は先に退職して行った学生時代の先輩と約束をし、後2年間は会社に残り開発を続けることにしました。正は、会社の危機を乗り越えるには外注加工を内作にし、しかも大幅なコストダウンを行うことだと考え、広島県にある万年筆メーカーにプラスチック成形と効率制度の研修に数ヶ月行くことになりました。研修後、中古品の成型機をリースし生産を始めました。またコストダウンのため、夜勤も含めた3交代システムで稼動はじめ、経費の計算、損益分岐点の計算などに没頭しました。
それだけでなく新製品の開発も進めました。と言うのも、尊敬している社長、今まで好き勝手させていただいていた社長の、レースに関わる夢を、どうしても共に追いかけたかったから、夜勤で現場作業をしても、そのまま日中は商品開発の日々を続けてました。そんな中、私の開発番号846番目に誕生したのが、テンション・ディスクでした。気が付いたら4日間一睡もしていませんでした。早朝4時に夜勤で成形加工を担当し、全員が帰ったかどうかを確認して工場を締め、健康ランドという大型スパで身体の疲れを取ります。そして朝7時には仕事に戻ります。この発明を商品化するには構造解析し、飛行機部品製造会社、素材研究の大手、接着技術の大手とのタイアップが必要となり、日本中を走り回り、多くの方の努力の末に量産にたどり着きました。膜構造体力学を使った画期的な製品の完成です。
しかし、販売するにはどうするか? まずはトライアスロンに着目し、宮古島、琵琶湖など全レースのメカニックに商品提供を実施し、ついに国内のトップ選手全てが使っている製品になりました。次にUSAをターゲットに開発を始めました。
「なんだかマウンテンバイクって変な自転車が密かに人気らしいよ。」この情報を元に、正はアメリカに幾度か出張を重ねるようになります。そしてMTBと開発番号846のテンションディスクの接点がそこに誕生したのです。八代正がフリーデザイナーとなって、コンプレックスのあったアメリカにデザインスタジヲ846を構えることになる1年前のことでした。


前のページへ