八代正のMYヒストリー『Independence(2)』 | IBO JAPAN

Independence(2)


白馬岩岳が終わる1年前、岩手県大東町(現在は一関市)に「ふるさと分校」という施設が作られるとのことで、その中の「遊び」をプロデュースしてほしいという仕事が舞い込みました。

そこで、アメリカの「遊び」を提案し、インストラクター・クラブというボランティアチームを養成しました。養成講座は6ヶ月で、ホースラィディング、ラビットストリーム、いかだ作り、マウンテンバイキングで、このインストラクターが全国から訪れる子供達を楽しませるというシステムです。多くの仲間ができました。アメリカへ研修にも出かけました。そしてその彼等の力によって、日本最初のインデペンデンス・ボードウオークが誕生しました。

インデペンデンス・ボードウォークとは、障害を持った人、高齢で野山が歩けない人などが、自由に自然に親しむ木道です。木の桟橋と考えて下さい。木々の間に杭を打ちます。もちろん施行に当たって一切の重機の使用を禁止し、人力にて行います。次に杭と杭とを橋げたでつなぎ、その上に長さ2m(車椅子がすれ違える長さ)、幅20cmの板が敷き詰められます。車いすで登れて下れる範囲ですから、勾配は5%未満など詳細なルールがあり、現在は国内共通基準として統一しています。

国内には、岩手県一関市に2つ、岩手県平庭高原、新潟県苗場、金沢市医王の里、新潟県旧山古志村、長崎県大村市、石川県輪島市、宮城県鳴子温泉郷に1つずつあります。上に打たれる敷板は、訪れた方に1枚だいたい500円程度で寄付して頂き、そこにメッセージを書き加え、その板を自分で打ち付けていただきます。この気持ちがつながった道が「インデペンデンス・ボードウォーク」(自分独りでも楽しめる木道)です。

それらに出会ったのは、岩岳が閉鎖される4年前に遡ります。当社にはマリコと言うアルバイトがいました。彼女は活発で真直ぐな心を持っている珍しい人間でした。846の仕事をがんばってこなし、そして単身で彼女の夢の地コロラドへ飛んで行きました。現在は当団体のアメリカ特派員です。そんな彼女に相談しました。
「いつもアメリカから車いすの選手が来日してくれる。ならば日本人もアメリカに行かないとだめだなー。」
「やりましょう!」
これだけの会話で、フィジカルチャレンジツアーが始まりました。ともかくビデオを作って、参加者を集めなくてはなりません。このビデオを編集してくださったのが長野放送でした。長野放送はその半年前、『やしろただし、その人生』という1時間番組を作ってくださり、月曜スペシャルで放映していただきました。

マリコは正がボルダーに到着するなり歓喜を挙げ、
「八代さん、これから行く所できっと泣くよ!」
と言って、私の到着を歓迎してくれました。私達はウィルダネス・オン・ホイールと書かれた看板の横に車を停めました。辺りはゴールドラッシュの影響か、山岳地帯に登山鉄道の跡が残り、現在はサイクリングロードとして使われ、その横を清流が流れていました。目を遠くに移すと車いすで楽しそうに木道を登るたくさんの車いす利用者が見えました。私は走って木道に向かいました。そして木道に到着した途端に脚がぶるぶる震え、動けなくなってしまいました。

車いすで登山をするなんて…、感動しました。そして目が痛くてたまらないほどの大粒の涙がこぼれ落ちました。それがインデペンデンス・ボードウォーク(自分自身で/人の助けを頼りにしないで進む木の道)でした。コロラドだけでも40ヶ所以上存在します。人間にとって自然が一番の癒しになると、ここコロラドは教えてくれました。その後2年に一度は車いすの仲間を一般募集し、このフィジカルチャレンジツアー(ハンディーを体力で克服しよう!)を続けています。

このボードウォークをどうしても「日本に作るのだ」と正は力強く決意しました。そして白馬岩岳が閉鎖される1年前の、日本初のボードウォークへとつながっていきます。正は自転車だけでなく、ホイール(車輪)を使ったスポーツ全体の普及を目標とするように変わってきたようです。

白馬の雪はまるで羽毛のようにゆっくりと静かに降り積もります。岩岳閉鎖後は毎日そんな雪を眺めながら、いったい何をしていたのでしょうか...、まったく記憶にありません。MTBを避けるように、障害者福祉活動に没頭していたようです。春は必ずやってきます。そして正の新しい道が見えてきます。

それは今日、正がアドバイザーをしているスポーツサイクル専門会社のトップに出会うと、「岩岳が無くなることは業界全体の損失だ」と言って頂き、すぐに苗場との交渉の糸口を作っていただきました。「やっぱり私は多くの方々のご協力のおかげで、夢を追い駆けることができるんだ」と実感した瞬間でした。でもそれからが大変でした。イベントを続けるために、白馬時代のイベント機材を私個人の物として購入はしなければならないし、それにも増して10ヶ月以上収入は皆目ありません。資金はすぐに底を尽きました。
「○クドの○本です」、とても印象の良い紳士と東京での苗場会議で出会いました。次に彼には冬、苗場で再開しました。
「今から岩岳へ行きましょう、皆がMTBを愛していることを知って下さい。苗場で岩岳の歴史を重ねることを望んでいることを、その目で見て下さい。」
正はそう伝えた。正の車で急遽、移動が始まった。途中の能生漁港近くで、正の車に手をふる婦人を発見。
「八代さん、美味しい蟹があるから食べて行きましょう。」
「なんで八代さんを知ってるの??」
この誘いに2人は、日本海を眺めながら蟹をほうばった。
「八代さんは、どこでもこんな感じですね。」、そして車は白馬に到着。

とんでもないことです、西武系の方が東急系のスキー場でフリーゴンドラ券を頂くなんて。そして、従業員と握手を交わすなんて、「○本さんってなんてすごい人なんだ!」、その時の率直な感想でした。後でわかった話ですが、○本さんってすごい役職の方だったんです。そんな立派な方とは知らず、正は感激し八方温泉で日本酒を飲み交わし、ヘベレケになってしまったのでした。そして数日後、苗場プリンスから開催OKの解答が入りました。苗場時代の始まりです。そして、○本さんとの出会いが正の目を日本全土に開かせます。
「ひとはひとを愛してからでしか自然を愛せない。自然は自然を愛する人にだけ優しくなれる。」

次のページへLinkIcon