オフロード車いす とは?
1994年、障害をもつ人々の自立率が高い米国コロラド州で、差別のないスポーツを夢見ていた2人のアメリカ人(マイケル・ワイティング and デイビッド・ヌーナン)により、四輪すべてに独立したサスペンションをもつ世界初のオフロード車いすが誕生しました。
このオフロード車いすは、まわりの地形を人に合わせるのではなく、人を地形に合わせることをコンセプトに作られました。この夢の乗り物は、通常の車いすでは到底入り込めないような場所へあなたをいざなってくれる、まさに「魔法のジュウタン」のような革命的な乗り物なのです!
- Q. 車いす利用者は、どうやってアウトドアを楽しむ?
A.インデペンデンスボードウォークのようにバリアフリー施設が設置されているところでは、今日、車いすでも気軽に野山や森を楽しむことができます。しかし、現実にはそのようなバリアフリー環境が整っているアウトドアは、日本にはまだまだ少ないようです。
- Q.車いす利用者は、どうやって山を下る?
- A.この革命的な道具が開発されるまでは、車いすで山を下ることは不可能なものでした。これまで世界中の何百人、何千人、いや何万人の人たちが、そんな悔し涙を流してきました。しかし、そのような時代はもう、終わりを告げようとしています。そんなニーズに応え、この世にお目見えしてきたのが「オフロード車いす」(未舗装路用 車いす)なのです。
ヒストリー
発足当初のチームフェニックス・ファクトリーライダー
1994年、アメリカMTBシーンでポツリポツリと人前に姿を現し始めていたオフロード車いす、それを根気よくデザイン・製作し、その可能性を世に知らしめようとしていたのが、何を隠そう、世界初のオフロード車椅子レーシングチーム「チームフェニックス」でした。
彼らは、差別のない競技とテクノロジーの革新とを通して
「人々の障害を補うよりむしろ障害をもつ人々の才能に目を向け、障害をもつ人が気軽にアウトドアに出て行けるような社会作り」
を目指し、まずは障害をもつ者もたない者とが差別なく競えるスポーツ環境作りを目指し、MTBレース界に進出していきました。
USA最大級のマンモスマウンテンMTB選手権カミカゼダウンヒルにてチームフェニックスは障害をもつ他の人々と同様に
「特別扱い」
を嫌いました。「他の選手と同じコース、同じ条件下でタイムを競い合いたい!、そして障害をもっていても他のライダーと同じようにイベントをエンジョイしたい!」という、今まで障害をもつ多くの人々が胸の内に抱いてきた願いを、米国MTB公式大会の選手ミーティングの場で声を大にして、主催者側に唱えてきました。
そんな彼らは、「社会のやさしさに甘えることなく、自分でできることは自分でやる」といったインデペンデンス(自立)生活を通して、自分たちの可能性を世間に実証していました。
世界初のオフロード車いす女性アスリートを輩出一方、彼らは競技面でもMTBライダーらと同じ条件下で充分にレースの首位を競い合える実力を、他のライダーや大観衆の目前で実証し続けました。
そして、「他のMTBライダーたちと同じコース・同じ条件下でタイムを競い合いたい!」また、今まで障害をもつ数多くの人々が胸の内に秘めていた「障害のあるなしに関わらず他のライダーらと共にイベントを楽しみたい!」という強い思いを、彼らがエントリーする全てのMTB競技会の選手ミーティングにて、主催者側に提示していきました。
その結果、現在アメリカ全土では当たり前のように、MTB大会には「オフロード車いすカテゴリー」が設置され、またレース面だけではなく、MTBイベント全体でもバリアフリー化が実現されています。
一方、彼らの活動はレースシーンだけに留まりませんでした。「自然の中を駆け抜ける夢と希望を少しでも多くの人に伝えたい!」、そんな思いから子供から大人まで誰もが楽しめるオフロード車いすクリニックや、競技性のまったくないファンライドイベントを、レクリエーション施設やリハビリ施設などに提唱し、また共に開催していきながら、多くの人々がオフロード車いすを体験できる機会を提供していきました。
新潟県湯沢町三国小学校にて
フィジカルチャレンジツアーそれだけではなく、障害をもつ人々の自立生活への第一歩を応援するフィジカルチャレンジツアーを開催したり、日本でのバリアフリー木道「インデペンデンスボードウォーク」の普及を積極的に支援したり、また日本の公立校にて「障害とは?」をテーマに若い世代に正しい知識を伝授したりと、現在も広範囲に活動を続けています。
水ボトル上での、チームスポンサーによるオフロード車いすの露出チームフェニックスが出没する所には、自然と報道メディアも集まってきます。
チームフェニックスは、そのマスメディアを介することにより、障害をもつ人々の可能性、夢の器具オフロード車椅子の存在、そして障害をもつ人々が安心して暮らせる社会環境作りの必要性を、全国にアピールすることができると考えます。
そして、チーム自らが活動を続けることで、行く先々で出逢う大衆の目の前で、障害をもって生きる者の可能性とオフロード車椅子という革命的な道具の秘めた力を実証し、かつ障害をもつより多くの人々にオフロード車椅子を体験してもらえる、そんなすばらしい機会を倍増させることができると信じてやみません。
チームフェニックスの脚は車いすの上でも止まりません。今日もどこかで誰かに、夢と希望を与え続けていることでしょう。
日本での軌跡
アメリカでオフロード車椅子が少しずつ世間の目にさらされ始めていた頃、米国西部で、MTBウエスタンライディング・スタイルに強く魅かれていた一人の日本人 八代 正(当団体理事長/MTBイベントプロデューサー)がいました。彼は、アメリカの山々では当たり前のように車椅子選手がダウンヒルスポーツを楽しんでいる光景を目にし、衝撃を受けました。
そしてその衝撃と出逢いは、差別のないアウトドアスポーツ・オフロード車いすを、日本の障害をもつ方々へ提唱していく切っ掛けとなりました。
彼はアメリカから帰国後、早速、現地の山々で障害をもつ人々が楽しんでいたMade in USAのオフロード車いすを3台取り寄せました。しかし、ライダーがいませんでした。そこで、当時彼の下で働いていたアメリカ人MTBライダーに、日本にオフロード車いすを紹介してくれるオフロード車いすチームを探してくるよう命じました。
そして、その1年後の1997年.....、彼のプロデュースしていた日本MTBのメッカ・長野県は白馬岩岳での「オールジャパン MTB ウエスタンライディングレース」でオフロード車いすが初めて、日本の地を滑走したのです。
何を隠そう、それを叶えてくれたのが、今日も日本オフロード車いす界を陰で支えてくれている、世界のオフロード車いすドリームチーム「チームフェニックス」だったのです。
そして、その時より日本のオフロード車いすスポーツの時間(とき)が刻まれ始めました。
それ以後10年以上に渡り毎年、彼は彼のMTBイベントにチームフェニックスを招待し(それを可能にしたのは、スポンサーMAZDA)、日本でのオフロード車いすの普及と支援に努めました。
日本オフロード車いすのパイオニア&現役ライダーの今野さんそして、その中で勇気ある二人の日本人チャレンジャーが、アメリカで行われたインデペンデンス生活の登竜門・フィジカルチャレンジツアーにて勇気と自信とを体得し、今もオフロード車いすの灯を絶やさず、伝えてくれています。
彼らの熱意と信念とがなかったならば、現在、日本でオフロード車いすの姿を目にすることはなかったことでしょう。
: : 参照 : :
『八代正のMyヒストリー』「Independence(1)」章
連載『5Min.』 「白馬からすべてが始まりました」章


レース スケジュール