1日目
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到 着
1999.6.20 in デンバー
米国中央部のハブ空港である真新しいデンバー国際空港は、内装も近代的で段差なしの無人トレインが往来している。チームフェニックスのボランティアメンバーたちが花束片手に、ツアー一行の到着を今か今かと待ち構える。そして、ついに搭乗ゲートの扉が開き、懐かしい顔ぶれが通路の奥に確認された。この瞬間に、記念すべき第1回フィジカルチャレンジツアーの幕が切って落とされた。
ツアー一行がゲートを出てくるや否や、勇気あるツアーチャレンジャーたちと感動のご対面を果たし、足早に標高1,655mの街ボルダーに位置するウェルカムパーティー会場へと向かっていった。


レセプション
ボルダー(標高1,655mの街)
コロラドボルダーといえば、日本女子マラソン強化選手の高所トレーニング合宿地。つまり、標高が高く、空気が薄いのだ。
そんなことを話している内に車が到着したのは、サイドカー付きハーレーを愛用するチームフェニックス女性メンバーのグレッチェンの邸宅だった。彼女の家は近代建築で、どこに行くのにも車椅子に乗ったまま行ける夢の100%バリアフリーハウスだった。中では、彼女の両親がおいしい料理と冷たいドリンクとで、我々の到着を快く迎えてくださり、ツアー一行は旅の疲れも忘れ、真新しい時間と空間の中、アメリカンムードに酔いしれた。
宴もたけなわ、チームフェニックス創設者の一人マイケル・ワイティングからツアー参加者に歓迎の言葉が贈られるべく、このツアーの成功を祈る乾杯の音頭が行われた。そして八代正氏からは、厚いフレンドシップとフィジカルチャレンジツアーの実現を共に祝福し、マイケルに美しい記念楯が贈呈された。ちなみにその楯には、日本のオフロード車椅子ムーブメント発祥の地
である長野県白馬村のシンボル『白馬三山』(北アルプス)の彫刻が刻まれていた。
懐かしい仲間との楽しい心地よい時間が流れ、ドリンク片手にこれから迫り来るチャレンジシーンへの期待と不安とに心踊らせながら、その夜はゆっくりと更けていった。。。
2日目

インデペンデンスボードウォーク訪問
1999.6.21 in グラント
コロラドでの初日は、ボルダーから南へおよそ車で1時間の郊外にあるインディペンデンスボードウォーク:ウィルダネス・オン・ホイールズ(W.O.W.)
を訪問した。

この施設は、1986年に身体に障害をもつ人々を応援することを目的に、ボランティアの手で設立され、その後も非営利で運営されている。施設の拡張・維持は全て、訪問者の寄付金のみで賄われている。全長1,600mにも及ぶボードウォークの桟橋は、高山植物が生い茂る上を軽快に通り、標高3,690mの山頂までズズズイーッと続いている。また、ここにある施設は全て、車椅子でも利用することができ、ボードウォークの他にもフィッシング、野鳥・野生動物ウォッチング、キャンピングなどアウトドアを楽しめるようになっている。

ツアー一行は早速、ボードウォークの頂上目指して進むことにした。もちろん、各自自力で一押し一押し上っていくのだ。ボードウォークの傾斜は、ホイルチェアでも上っていけるようになだらかに設計されているとはいえ、この高所での上り坂ハイキングは流石に、海抜付近からやってきた日本人参加者にとっては、容易なものではなかったようだ。
悪戦苦闘の末、「ついにやったぞ!」。ツアーメンバー皆、誰の援助も借りず、長さ1,600mものボードウォークを登り切ったのだ!頂上では、何ものにも代え難い達成感と背中を流れ落ちる汗とに浸りながら、皆で持ち寄ったランチをムシャムシャ食べ尽くしていった。
この日に観たもの・聴いたこと・感じたこと・体験したことがインディペンデンスボードウォークの種子となり、その後の日本で発芽するための大きなエネルギーとなることなぞ、この時点では八代氏とツアー仕掛人以外、知る由もなかった。。。
3日目
水上スキー
1999.6.22 in ボルダー

この日はなんと、水上スキー(!?)体験の日だった。「そんなの無理だよ〜」と不安な表情を隠せない参加者を乗せた車は、ボルダーの人工湖に到着した。
まずは契約書の付いた申込用紙を記入・サインし、ウエットスーツの装着が始まった。乾いたウエットスーツに身を押し込むのは、かなりの難を要する。各自汗のにじむような努力の末、ついに胸のチャックをしめ終わった。
次に、車椅子ガイドのマットさんから器具の使用法と水に入ってからの一通りの流れを説明してもらった。かなりのトレーニングをしているのか、上半身の筋肉隆々な彼の説明にはかなりの説得力があった…。
その後、(どなたかが発明してくださった)水上で体を支えるのに一役買ってくれる座席器具のサイズ合わせを、入念に行った。
ここで使われている水上スキーには、手で負荷のかかったハンドルを保つことが困難な人向けに、スキー先端部にロープを掛けるスリットが施されていた。このようなちょっとした発想が、障害をもつ人々の可能性をグーンと押し広げるのだ。

このサービスを提供してくれているガイドはボランティアで構成されており、「身体に障害をもつ人にも水上スキーの醍醐味を味わってもらいたい!」という暖かい志で、週末をおして自発的に集まってきてくれているらしい。中には、自分のボートをドライバー付きで提供してくれているボランティアもいた。金儲けのことばかり考えるどこかのウォータースポーツ施設とは訳が違うのだ。

さて、緊張するツアー参加者の気持ちを和ませるべく、まずは経験者のグレッチェンがお手本を見せてくれた。そして…、ツアー参加者一人目の番がやってきた。桟橋からゆっくりと入水し、まずは体と浮力のバランスを取り、準備ができたところでGOサイン。そして、ロープがゆっくりと伸びはじめた… それがピンと張ったところで、ついに体が動き出した!「行ってきま〜す」とばかりに、ゆっくりと桟橋を出発していった。。。
実際にスキーが走り出したら、緊急時に備えて、すぐ横をレスキューボートが追走する。また、けん引ボートにはクイックリリーサーが設置されており、スキーヤーが転倒すればすぐに牽引ロープが解放される安心設計になっていた。
この日のボランティアガイドらは皆、経験豊富で段取りもよく、我々ツアーチャレンジャーは恐怖心をほとんど感じることなく、生まれて初めての水上スキー体験を存分に味わうことができた。
ボランティアの皆さ〜ん、ありがとぉ〜!
4日目
フライフィッシング
1999.6.23 in サライダ
さすがロッキー山脈というだけあって、釣り場に向かう山道も岩ゴツゴツのロッキーなもの。その上を揺らり揺られドンドン四駆車で上っていく。すると、パッと視界が開けた。湖だ! こんな山の上にこれほどまでに美しい空間があるなんて…。残雪の白・針葉樹の緑・湖と空の青とが絶妙のコントラストを醸し出していた。

フライフィッシングといえばお馴染みのあれ、10時2時の角度にフライポールを振るキャスティング。まずはそのキャスティングの講習を受けた。それでは、実際にフライを付けて、実践だ〜。しかし、あいにくこの日は風が強く、フライが風に飛ばされ、なかなか思うように水面に落ちてくれない。

そんな苦しい環境でも、さすがチームフェニックスは魅せてくれる。メンバーのアナは車椅子の前輪をキュッとウイリーさせて、ひょいひょいとガレ場を水際まで下っていく。アンビリーバブルなバランス感覚だ。アッパレ! そうかと思えば、チームフェニックスのデイビッドは、いつの間にやら草地の穴場を見つけ、ゆっくりと釣り糸を垂れくつろいでいるではないか…。
いやはや、一体このチームフェニックスとは何者なのか!? まさに、苦境をものともしないプラス思考の集団、このフィジカルチャレンジツアーには欠かせない存在なのだ。
そうこうしていると、風と格闘している我々を見るに見かねたフィッシングガイドのお兄ちゃんが、魚のかかっている竿を我々に持たせてくれ、コロラドのレインボートラウト(ニジマス)の引きを味合わせてくれた。う〜ん、このグググッの感覚がたまらない。次回は是非とも、自らの手でこいつをしとめたい…。
5日目
メジャーリーグ・ベースボール観戦
1999.6.24 in デンバー
この日はコロラド・ロッキーズの本拠地COORSスタジアムで、シカゴカブス vs. コロラドロッキーズのメジャーリーグ野球を観戦した。まず驚いたのは、球場内のバリアフリー環境。車椅子でのアクセスも楽々、ともかく容易なのだ。そして観客席最前列全てには車椅子席が常設されていた。日本では考えられない事実を目の当たりにさせられた瞬間だった。
以前ツアーの下見でこの球場を訪れた時は目に入らなかったものだが、今回、実際に車椅子の参加者と来たことで気づかされた新発見であった。
想像できないくらいの観客が動き回るにも関わらず、私たちは車椅子で観戦に来ていることを忘れてしまうほど、自由に球場見学をすることができた。「所詮、球場とは階段だらけ」といった定説が見事に覆された。
その目前でサミー・ソーサが2本のホームランを放つ。私たちにとって決して忘れることのできないホームランとなった。。。
さて、球場外はというと...? この球場には車椅子の方も多数、観戦に来る。通常のバスは車椅子席が少なく、車椅子利用者は簡単にバスに乗ることはできない。そこで、車椅子利用者専用のバスがドンチャカドンチャカ登場するのである。しかも無料で町中どこでも乗り降りができるという。ここでも、高度福祉社会コロラドの住み易さを感じさせられていた。
(文・八代 正)
6日目
オフロード車椅子ダウンヒル
1999.6.25 in ウィンターパーク
この日、我々はウィンターパーク・スキー場に常設されているMTBダウンヒルコースをオフロード車椅子という四輪のマシンで下るのだ。このコースはMTBレースイベント『レッドクロス・クラシック』でも使用されているコースだ。

まずはリフト券を購入し、人間さんとマシンとをリフトで頂上まで運ぶ。オフロード車椅子を引き連れて、前触れもなくリフト乗り場に乗り込んで行ったにもかかわらず、リフトの係員たちは物怖じせず慣れた手つきで素早く対応してくれた。

頂上からは常設MTBコースの他に、何本かの林道コースを自分のライディングレベルによって選べる。我々は常設DHコースを下ることにした。MTBライダーに混じっての乗車だったが、通りかかりに気軽に声をかけてくれたり、先を急ぐ時には十分なスペース空けて追い抜いてくれたり、ライダーたちのマナーのよさが光っていた。
ベースエリアでは、日本から持ってきたオフロード車椅子がひときわ、人々の関心を集めていた。
7日目
ファントムキャニオン鉱山鉄道跡ファンライド
1999.6.26 in フローレンス

予定表には、なになに「鉱山鉄道跡でのオフロード車椅子ファンライド」と書いてある。場面は1890年代のコロラド・ゴールドラッシュ。当時、山腹を削りとり切り開かれた45kmにも及ぶファントムキャニオン鉱山鉄道は、金鉱山クリプルクリークとフローレンスの町との間を走っていた。現在はその鉄道レールは全て撤去されており、車も通れる整備された未舗装路として残されている。

そのファントムキャニオンだが、実はツアー一行が到着する1ヶ月ほど前に集中豪雨に見舞われ、橋や路肩が崩壊し通行止になっている。修復の見込みすらまだ立っていない状況だった。なるほど、ツアープランナーはその逆境を利用したんだな。
ということで、今日のプランはその豪雨後のトレールを、そこでの鉱山史に触れながら、オフロード車椅子で巡っていこうというものだ。そうか、通行止ということは、車の往来に神経をすり減らすことなく、思う存分ファンライドを楽しめるというわけだ。まさに、プライベートファンライド! 逸る気持ちを押さえながら、各自ライディングの準備に取りかかった。
まずは、今日のファンライドのリーダーであるチームフェニックスのデイビッドから、このハザードだらけの状況を承知でこの道を楽しむに当たっての注意事項が、真剣な面持ちでなされた。「見ての通り、ガードレールなどここには存在しない。このファンライドに参加すると自らが決めた以上、最後まで自分の責任においてこのファンライドを楽しむんだ!」 中でもこの忠告には、自立の国に生きるアメリカ人のポリシーがよく現れていた。つまり、自分の度量以上の無茶をして、他人の楽しい時間まで奪うな!ということだ。よく「自由」と「わがまま」とを混同している人がいるが、「自由」というものは他の人に迷惑をかけることなく、自らが「自立」してこそ与えられる権利なのだ。
さぁ出発だ!と言いたいところだが、ちょっと待って。「八代さん、この距離を走るつもり?」「そうさ、この45kmをマラソンするのさっ。」とツアー参加最年長の八代氏から軽い返事が返ってきた。これにはチームフェニックスのメンバーもツアー参加者も皆、唖然。。。彼のガッツにはいつも驚かされ、また励まされる。何歳になっても彼のようなチャレンジャーでありたいものだ…。そんなこんなで、ファンライドの火ぶたは切って落とされた。


先に進むに連れ、徐々に渓谷が顔を見せ始めた。雄大な森、反り立った岩々、右肩には深い谷がアングリと口を空けていた。ここを蒸気機関車に引かれた列車がモクモクと煙を上げ勇ましく走っていたのか…。なんだか、そんな情景が見えてくるようだ。いや〜、それにしても気分壮快! 日常の車椅子では絶対に踏み入れないこんな大自然の中を、この魔法のジュウタンのような四輪サス付きオフロード車椅子のおかげで、渓谷を流れる風や川、新鮮な空気を放つ森たちと一体となって走れるのだ。ちなみに、この魔法のジュウタンを日本に初めて紹介したのが、何を隠そう、そこにいるチームフェニックスと八代正氏だったのだ。出発早々、幸福感がドッと押し寄せてきた。
少し行くと、ちょいと開けた所に何やらポツンと建物のような小屋が建っていた。近づいてみると、なんと公共トイレだった。それも車椅子でアクセスできるバリアフリートイレだ! こんな人里離れた山奥にトイレが設置されていること自体、驚きなのに、それがまたアクセシブルなトイレだっだことに我々は感動し、拍手した。さすが平等の国アメリカ、そして車椅子利用者自立率が高いコロラドだ! 我が国日本でも見習っていきたい姿勢である。

一方、八代氏はというと、新鮮な空気の中、手ぬぐいを頭に巻きつけ気持ちのよい汗を流しながら、この45kmのマラソンランをエンジョイしていた。その横で、豪雨で増水した川に削り取られた痛々しい路肩や、多量の雨水が流れてできたトレールを横切る何本もの溝が、我々に自然のパワーをまざまざと見せつけていた。

ファンライド出発前にツアープランナーから手渡されたファントムキャニオン鉄道史パンフレットを見ながら、我々はポイント毎に立ち止まり、この鉄道が活気に満ち溢れていた当時の光景や、一攫千金を夢見る鉱夫たちの姿などを想像しながら、奥へ奥へと進んでいた。
アンデール橋
当時のアンデール鉄橋を下から見上げる「これで何本目だろう?」ここに来るまでに、既に5〜6本の橋を通過していた。しかし、この橋だけこぎれいに朱色でペイントされてある。パンフレットを見ると「アンデール橋」と書かれていた。下を見下ろせばかなりの高架。「ひょっとしたら、ここは当時、この鉄道の難所(!?)だったのかもしれない…。」 それにしても、こんなにきれいな姿で残っているということは、ここで一攫千金を夢見た鉱夫たちの思い出と共に、このトレールも親から子、子から孫へと受け継がれているのだろう。そんなことに思いを巡らせている内に、他のチャレンジャーがオフロード車椅子で軽快に横を通り過ぎていった。


そして、ついに6時間にも及ぶ45kmファントムキャニオン鉄道トレールでのファンライドに終止符を打つ時が来たようだ。激流で土砂が削られその形さえ留めていない石橋が我々の行く手を阻んでいた。そこへ迎えの車が到着し、未だ興奮覚めあらぬ我々を乗せ、一路グッバイパーティー会場デンバーへと向かった。
車内では夢うつつにもまだファンライドを続けているのか、皆の寝顔はコロラドの澄んだ空のように晴れ晴れとしていた。。。
グッバイ・パーティー
デンバー
みんなタフである! とても6時間にも及ぶファンライドを今終えてきたという顔には見えない。初回フィジカルチャレンジツアーの最後を飾るグッバイ・パーティーは、コロラドの州都デンバーのダウンタウンで開かれた。このパーティーでは、ツアー参加者全員にツアー修了書として『 TEAM PHOENIX 』のワッペン付きチームジャージが授与された。そして、長かったようで短かったこのツアー7日間を振り返りながら、冷たいビール片手にツアー最後の夜は達成感と笑顔いっぱいの中、ゆっくりと更けていった。。。
8日目
卒業/旅立ち
1999.6.27 in デンバー

別れというものは、いつも悲しいものだ。例によって例のごとくチェックインを済ませ、無人トレインに乗り込み出発ロビーに向う。飛行機から降りて来たツアー参加者らは、オドオドとした自信のなさそうな旅行者だったのに、ここを今去ろうとしている彼らはなぜか凛々しく、それでいて堂々として見える。
長かったようで短かったこの7日間を振り返ると、確かに苦しいこともあっただろう。
自分をムチ打って進まなければならない場面にもたくさん出くわしてきただろう。それを誰の助けも借りず、自力で乗り越え克服していく。そして、それでこそ与えられる「自信」と「勇気」とを手土産に持ち帰ってもらうのが、我々のフィジカルチャレンジツアー。
ツアー一行は帰りのスーツケースに一杯の思い出と手土産とを詰め込み、搭乗ゲートへと消えていった。。。








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