1日目
リノ空港到着 → マンモスマウンテンへ
2001.7.18 in Reno, Nevada

今年のツアーのロケーションは確かカリフォルニアということだったが…!? ツアープログラムの開催地に最も近いということで、ツアー一行はネバダ州のリノ空港にタッチダウンした。
それにしても、自分たちのオフロード車椅子を持参してのツアーは荷物がかさばる。しかし、チームフェニックス・メンバーのアナとエリックが空港まで迎えに来てくれた。

オフロード車椅子、メンテナンス道具、荷物そして参加者をギューギューに押し込み、2台のMAZDA車+1台のピックアップトラックを1セットに一路、全米MTB選手権の開催地カリフォルニア州はマンモスマウンテンへと南下していった。
2〜4日目
マンモスマウンテンMTB選手権 参戦
2001.7.19 〜 21 in Mammoth Mtn.

さすがはカリフォルニア! 抜けるような青空の下、NORBAマンモスMTB選手権に参戦すべく、ツアー一行はイベント1日前に現地入りした。
やはり全米からライダーが集結するこのNORBA公式レース、山の名前同様、イベントの規模もマンモスだ。メイン会場には出店テントが所狭しと並び、会場はまさにMTBエキスポ状態。大勢の観客と選手で気持ちのよい賑いを見せている。
1日目は選手レジストレーションを済ませ、レースコースの試走を念入りに行った。人だまりを抜け出しレースコースに出てみると、チームフェニックスのメンバーとその仲間たちがコースを駆け下りていた。我々もその中に混じって試走でコースの感触を養った。
さすがは平等の国アメリカ。車椅子のライダーだからといって、特別なコースが設置されているわけではなく、他のMTBライダーと同じコース・同じ条件下で正々堂々とレースを競うのだ。明日の当日が楽しみである!
2日目は、オフロードホイルチェア部門デュアルスラロームレースが開催された。さすがはマンモスMTBイベント、コースが長く、その中にアップダウンやバンク、ジャンプ(エアー)までも設置されている。まさに、選手と観客とが一体となって楽しめるコースである。3,2,1のカウントダウン後、スピードをなるべくキープしながら果敢にスラロームの旗門を攻めていく。最後は清水の舞台から飛び降りる思いでエア台に挑んでいた。

3日目は、MTBレースイベントの花形競技そしてこのマンモスマウンテンでしか味わえないかの有名な「KAMIKAZEダウンヒル」が開催された。マンモスのダウンヒルコースはかなりの距離を一気に駆け下りるスピードコース!また、ところどころにはかなりの砂がたまっている。走りやすいと思って油断すると、深い砂にハンドルを取られ転倒してしまう。つまり、スピードコントロールとハンドリングと度胸が求められるコースである。が、そこは先日試走を済ませているツアー一行、無事にゴールまでたどり着き、ゴールエリアでの大歓声に酔いしれていた。。。

このマンモスでの3日間、カラッと晴れあがったブルースカイの下で、本場のお祭りMTB大会のムードにどっぷり浸りながら、過酷なコースを現地ライダーらに混じりながら完走した。サポーターの方もお疲れさま〜。どの参加者にとっても、忘れられない思い出となったことだろう。
5日目
ラフティング
2001.7.22 in Coroma
ツアー5日目、我々は早朝から行動を開始し、ラフティング会場のアメリカンリバーに向かった。この日我々がお世話になるのは、障害をもった人々にも、気軽にアウトドアアドベンチャーを楽しんでもらおうと、至れり尽くせりのプログラムを提供しているラフティングガイドETCだ。

川面に出れば、経験豊富なガイドたちが適切にリードしてくれた。段取りも手際もよく、ツアーチャレンジャーは激流下り、ウォーターガン・バトル、水浴びといった具合に、子どもに戻り安心してリバートリップを満喫させてもらった。
それにしても、最後の最後でそれまで落ちないように努力していた川に自らが浮かぶことになろうとは、ツアー参加者も予期していなかったうれしいサプライズだった。
6日目
ロッククライミング
2001.7.23 in Tahoe
この日のツアー一行はタホ市のスクオウクリークで、当ツアーの一大イベントの一つ・ロッククライミングにチャレンジした。
ロッククライミングと聞いて、「普段車椅子を利用している人がどうやって岩を上るのだろう?」と不思議に思う人も多いだろう。そこがこのフィジチャレツアーの魅力! われわれのネットワークから、それを叶えてくれる名ガイドを迎えた。
その名もマーク・ウェルマンさん。クライミング映画にも数多く出演する有名車椅子クライマーだ。彼は大岩の前で緊張しているツアーチャレンジャーを、説得力のある鍛え抜かれた両腕でやさしくリードしてくれた。


障害をもつ人のクライミングとは、ロープに取り付けた器具と腕力とで、身体を上へ上へと引っ張り上げていく。そう、自力で上って行くのだ。
参加者のほとんどが岩の背で初体験のクライミングに苦戦していたが、以前クライミングをやっていたという参加者のYさんは、軽い身体を味方につけ、いとも簡単に岩面を登りきった。。。なんとも凛々しい姿だ。事故に合ってからというもの、あきらめていたクライミングを経験できた彼女は、何かハツラツとして見えた…。
その後、チームフェニックスメンバーのホーリーとその家族からディナーパーティーへの招待を受けたツアー一行は、完全バリアフリーの彼女の広々とした自宅で、おいしい料理とよく冷えたドリンクを囲みながら、笑いの絶えないアットホームな夜を過ごさせてもらった。
7日目
レイクサイドウォーク&ディナーパーティー
2001.7.24 @ Lake Tahoe & Squal Valley
この日はレイクタホを見渡すタホシティで、足早に過ぎていったツアー前半の疲れを癒すべく、ウォーターフロントのゆったりとした雰囲気の中、散策したりショッピングしたりとリラックスした時を過ごした。
昼食はレイクサイドレストランのパラソルの下、湖からの涼しげな風でこんがりと焼けた肌をクールダウンさせながら、空腹感を癒した。そんな中、昨夜のディナーパーティの余韻も未ださめやらぬ内に、今度はホーリーと彼女のファミリー主催のフォーマル食事会にお招きいただくことになり、一行はいざスクウォーリゾートへ。
真っ白いテーブルクロスの上に、クリスタルグラスが規則正しく並べられている。そして、その中に真っ赤なワインが注がれていく…。なんと、そこにはチームフェニックスのクリスティと彼女のボーイフレンドが、ツアーの皆に会いに駆けつけてくれていた。
スクウォーリゾートの景色を窓辺に、緊張したフォーマルな空気が流れる中、ツアー一行はお行儀よく、アメリカのフレンドたちのもてなしに舌鼓を打ちながら、慣れない言葉でだが、ツアーサポーターとのあたたかい時間を楽しんだ。
8日目
インデペンデンストレール散策
2001.7.25 in South Yuba

ツアー一行はこの日、チームフェニックスのアナのホームタウン:ネバダシティにあるユバ南部インディペンデンストレールへと足をのばした。
このトレールは、カリフォルニア北部のハイウェイ49に隣接する美しいバリアフリーの小径で、時は1800年代のカリフォルニア・ゴールドラッシュ時代に大事な役目を担っていた水路跡を再利用して作られたレクリエーション路で、その先は古い運河につながっている。

ここでツアー一行は、そこに設置してあった地図より、数あるトレールの中から一つを選び進んでいった。水路の原型を留めたまま整備してあるトレールは、車椅子でも通れる幅で奥へ奥へと延びており、その中を我々は水の如く流れていった。
このアメリカでは、ほとんどの場所にバリアフリー施設が設けられているが、ここも例外ではなく、ピクニックエリアやトイレ、フィッシング用のアクセス道まですべて、車椅子で利用できるものだった。
9日目
オフロード車椅子ファンライド&グッバイパーティー
2000.7.26 in North San Juan
我々ツアー一行はこの日、ノースサンワンにあるチームフェニックスのアナの自宅におじゃまさせてもらった。ここには、アナのお母さまが作ったハーブ園もあった。
そこでは、彼女の友人トレバーくんもやってきて、広々とした農園風景を眺めながら、彼女らが密かに築いたオララ・ダウンヒルコースで当ツアー最後のイベント、オフロード車椅子ライディングに汗を流した。
その夜は、アナのお父さんとお母さんをも巻き込んで、アクトンファミリーが醸し出す心地よいアットホームな空気の中、手作りグッバイパーティーで盛り上がり、ツアーの思い出話に花を咲かせながら、その夜は静かに更けていった。。。
アメリカの家って本当にゆったりと作ってある。アジア独特のギスギス感がまるでない。だから、こんな急な来客(かなりの人数だったが…)にも対応できるし、家を丸ごとバリアフリーにすることもできる。
我が国国民は、まずは頭の中をバリアフリーにすることから始めなければ…、と感じる今宵この頃であった。。。
10日目
旅立ち
2001.7.27 at Reno Airport, NV

このツアーで何度も登場したオフロード車椅子くんにありがとうの気持ちを込め、丁寧にパッキングしてやり、チェックインカウンターへ。
見よ、オフロード車椅子と旅する時は、このようにそのままの姿でパッキングするのだ。だが、そのままと言っても気圧の関係でタイヤがバーストするのを防ぐため、タイヤの空気はリム打ちしない程度に少し抜いておく。
そして、このツアーの全行程を我々と共に過ごし、またリードしてくれたチームフェニックスのアナ&エリックと悲しい別れを交わし、一行は一回り大きくなった自分を手土産に、出発ロビーへと消えていった。



数時間後に到着した日本の空港で我々を待ち受けていたのは、「障害をもつ人は特別扱い」という我が国の福祉環境の実態であった。。。。。











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